BunDoku哲学カフェ

大分朝読書コミュニティBunDoku主催による「BunDoku哲学カフェ」の公式ブログです。

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【開催案内】第34回 BunDoku哲学カフェ

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第34回目のBunDoku哲学カフェの案内です。

前回33回目の案内が抜けていました。。すみません。

4月のテーマはエイプリルフールということもあり、

「良い嘘ってあるの?」です。

嘘についてみなさんと対話したいと思います。

4月22日(土)18:45~ホルトホールにて開催します。

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【開催案内】第32回 BunDoku哲学カフェ

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2月のBunDoku哲学カフェの案内をします。

テーマは「許すとはどういうことか」です。

あえて動詞の「許す」としてみました。

みなさんは許したこと、許されたことはありますか?

また許せないとはどういうことなのでしょうか。

ご興味ある方はBunDokuのウェブページよりお申し込みください。


課題のようなもの

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昨日、今年最初の哲学カフェを開催しました。
過去最大数の参加申し込みがあり、ありがとうございました。
大人数での開催により、潜在的な課題のようなものが鮮明になったので、
今後対応すべく、書き残しておきたいと思います。

以下は終了後、僕個人のツイッターであげたものをまとめたものです。


大人数での哲学カフェを経験したことで、対話上の今まで放置してきた課題?やきちんと対応しないといけないことが、鮮明になったように思う。少人数だとアットホームな雰囲気のなかで、それらがうやむやになっていたのだろう。

哲学カフェなどの対話において、対話された内容を整理、分類し方向付けしていくことのメリット、デメリットとは。労力や能力の問題もあるけど、自分はそれをしないし、したくない。けどしてほしいという要望がそこそこある。参加者の誰かがそれをするのはいいと思うけど、ファシリが先導してするのは…

整理や分類、定義づけすることによって対話が収束するのは避けたいし、そこから外れた考えを除外したくはない。同じテーマでも話したい内容や興味、焦点はみんな違って、それを違ったまま保持して進んでいきたいと思う。曖昧になるかもしれないし、論点が複数あるのは深まりに欠けるかもしれないが。

と言いつつも、分類や整理も程度の問題かもしれない。昨日はすこしは整理した方が良かったかも。次回はホワイトボードを使って、すこしだけその要素をとりいれてみるか。哲カフェは、地図のある道を行くというより、地図なき道を彷徨するというのか、地図そのものを作る作業でありたいとは思う。

豊かな混乱。脳にいつもとは違う負荷がかかっているのを楽しみたい。

線ではなく面で進む対話。行ったり戻ったりだけでなく、飛び火や思わぬところでの共鳴、沈黙や間、ためらい、既読スルーもある。なにより話し聴く過程で滲み出てしまうその人固有のもが僕には興味深い。

哲学カフェにおいては「分かる」ことが一番大事というわけではなく、それは副次的なもののような気がする。このあたりは共通理解は得にくいけど。ゴールはそこではなく、うまく言えないけど、それとは別のものを個人的には求めている。


ファシリテーターをしていると、たびたび対話の内容を整理するよう、分類するよう、ラベリングするよう、定義づけて方向づけるように求められることが多々あり、そのたびにどこまでやるべきなのか、労力や能力の問題も含めて戸惑うことがありました。僕は基本的にはしたいくはない立場ではありますが、それが対話を貧しくする細くするということを伝えるのが難しく、いままでは曖昧に濁していました。それだけで語るのに時間がほしいとは思うのですが、はっきりと向き合う必要があると思いました。整理するときは整理してみる、しないときははっきりとその旨を伝える。

共通理解を得るためというわけではないけど、一度「対話とはなんなのか」「哲学カフェとはなにか」をテーマに話したいと思います。




【開催案内】第31回 BunDoku哲学カフェ

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新年あけましておめでとうございます!

年明けて最初のBunDoku哲学カフェのテーマは

「〈自分〉らしさってなんだろう?」です。

クリスマス後の年末年始は、私にとって最も心静かに

〈自分〉と向き合うことのできる時期でもあります。

でもよくよく考えるとこの〈自分〉という存在が一番わからない。

さらに〈自分〉らしさって何でしょうか。みなさんと考えてみたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。


テーマはどのようにして決まるのか?

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「助けて」、それは誰の言葉でもない、君の言葉だ。
やっと「助けて」と言えるようになった、それは君の力だ。
死にかけても動物は立ち上がる。
人間は死にかけたら助けを求めて声を上げる。
立ち上がることも、声を上げることも、同様に真実だ。

歴史学者 田中希生




一応このブログはBunDoku哲学カフェの公式ブログということになっているが、広報の機能を除いては、ファシリテーターのただの独り言なので、まぎらわしいが会そのものの特性や方向性を表すものではないし、自分の希望を述べているのではない。運営の実際とは矛盾があるかもしれない。

哲学カフェのあり方については、これが正しいというのも、これがスタンダードだというのもない。同じスタイルで臨んでも、参加者の顔ぶれが変われば違ったものになるし、選んだテーマによっても変わるし、お店などの場所の雰囲気やファシリテーターの進め方、キャラクターによっても変わる。

正しいスタイルというのはないが、ただこうはしたくないというのはあって、そのために冒頭時間をかけてルールやコンセプトの説明をする。たとえば一人の人が独占的に延々と喋るような状態や、他を否定したり威圧する恫喝めいた言葉、自慢話や知識の披歴など、つまりここには「聴く」ということが欠けている。

自分自身、哲学カフェのファシリテーターというものをやり始めた頃は、とんでもなく疲労していた。これは自分の人生に「聴く」という行為が欠けていたからだと思った。それは傲慢さの表れであったし、他者との関係性の構築に当たっての極端な歪みであり障害だと思った。生き方を変えようと切に思ったものだ。

「聴く」という行為もなかなか困難なもので、生(き)のままの声をそのまま受け入れたいと思っているが、誰が言ったとか、何を背景にしているとか、根拠とか、つまらない対話の外に意識が向くことがある。これは男性に多い傾向だが、「誰々がこう言っている」や「〇〇学ではこうなっている」など、つまり固有名詞が飛び交う。これは話しを端折れるので便利だからである一方、それを知っている人と知らない人とを大げさに言えば分断してしまうこともあるから、僕はなるべく使わないようにしている。固有名詞の力はほんとにすごい。

以前、AI(人工知能)をテーマにしたことがあって、それは非常に盛り上がって楽しかった回だったが、一方でこれは哲学カフェなのか?という疑問があって、それは未知より既知に対して話される言葉が多かったためであり、そのなかでも数少ない未知の言葉としては「なんでみんなAIが人間を超えることに対して躍起になっているのか?」だった。
AI第二弾を望む声が多いのではあるが、いかに未知に向かって対話ができるかのテーマ設定が必要だろう。お互いの既知を確認し合う行為(それはそれで楽しいけれど)、そこはスキップしたいなあと思うのです。


本題。
テーマはどうやって決めているのか、誰が決めているのか聞かれることが多いのですが、自分とファシリのぶんさんとで決めています。独断と偏見といってしまえば、それまでですが、(振り返ってみれば)わたしのなかの基準は一応ありまして、それは簡単すぎない「歯ごたえ」、誰もが考えられる考えたことのある「普遍性」でしょうか。いま、思いつきで書いたのですけど。避けているテーマとしては、特定の社会問題や政治問題。そこに哲学的普遍性があれば別ですが。

自分個人としては、なにか当人にとっての「切実さ」が引き出せれば、いいなあと思っているんです。そのためには場の安全性、安心感が必要です。マナーは大前提ですけど、これは言ってはいけないといった自主規制や、社交を重視した表面的な取り繕いを超えたいなと。そういう工夫を自分とぶんさんは運営側としていろいろしているつもりです。

あとアンケートなどで聞いた参加者のとりあげてほしいテーマをそのまま使うことも最近多くなっていますが、とりあげた回はたいがいその当人が不在なのが美しいなあと思っています。

来年もBunDoku哲学カフェは月1回のペースで開催します。興味のあるテーマなどありましたら参加してみてください。



読んでますよ

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「問う」ということは、地図の上を目的地に向かって進むことではなくて、

自分で地図を作りながら進むことであり、地図を作るという行為そのもののことである。

小説家 保坂和志





最近、このブログを丁寧に読んでくれている方がいるのを知り、

そういえば以前にも別の人から「読んでますよ」と言われたことも思い出し、

ただの告知ブログになりつつあったこのブログも、それ以外のこともつらつら書こうかと思い立つ。

「読んでますよ」という言葉は非常に大事だと思う。無関心じゃないよということで。

おまえのこと見てるぞみたいで。

でもカフカは自分が書いたものを読まれることを望んでいなかった、

ただ書くという行為、欲望だけがあった。すごいね。強いというのか。

哲学カフェの話に戻すと、人であったり思考であったり(つまり同じことなのだが)

その<変化>の現場に立ち会うことが最近多くて驚いている。

自分の変化と他の参加者の変化と、安心して変化できる場所としての哲学カフェ?

対話を重ねることで、問いを重ねることで、それ以前の自分とは別のものになったり、

別の思考が宿ったりとか、とにかく予期しないものが生成される。

それに身を任せることができる場づくり。

普段はセーブしている力。

自転車に一度乗れると、もう乗れないってことができない。その不可逆性に向かう勇気とか。

昨日、BunDokuの忘年会の席である常連参加者から「哲学カフェはスリリング!」と言われた。

本当は言われてないけど、ほとんどそのようなことを言われた。

フェイスブックやツイッターより、いまだにブログが一番好きなインターネット・メディアなので、

またたびたび書いていく(かもしれない)。思い出したら。

以前、精神的な失語症に陥ったときにリハビリのように他人の言葉を書き写していったブログを、

今はもう更新していない。そのブログは卒業したのかもしれない。

哲学カフェも以前常連だった方が急に来なくなることがあるけど、

そのときはいつも卒業したんかなって思う。

それもまた大きな変化、生成のひとつだろう。



【開催案内】 第30回BunDoku哲学カフェ

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第30回目のBunDoku哲学カフェは、12月17日(土)19時30分よりホルトホールにて開催します。

今回のテーマは「忘れられないこととは」。

この時期は忘年会が開かれ、年忘れのイベントが増えますが、

幾年月をまたいでも忘れえないことが、それぞれにあるのではないでしょうか。

みなさんの忘れられないことについて、一緒に聴き、考え、話していきたいと思います。

お気軽にご参加ください。

【開催案内】第29回 BunDoku哲学カフェ

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第29回目のBunDoku哲学カフェを

11月20日(日)18時30分よりホルトホールにて、開催します。

テーマは「人が人を嫌いになるのは、どういう時か」です。

人を嫌いになる…ああ、いろいろありますねえ(*^-^*)

参加希望者はホームページよりお申込みください。


BunDoku哲学カフェ お申込み


過去のテーマ一覧

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BunDoku代表のシミズです。

BunDoku哲学カフェが、過去どのようなテーマを取り扱ってきたのか

問い合わせを受けることが多くなったので、ここにまとめたいと思います。

僕自身、主催をやりながらもほとんど覚えていません。。

BunDoku哲学カフェは連続性をもたせず、一回一回を開催していますので、

今後同じテーマがかぶることがあっても、全く問題ないと考えています。


* * * 

【2014年】

7月  「友人とはなにか」 ←第1回目の開催!

8月  「嫉妬とはなにか」

9月  「我々は〈幸福〉でなければならないのか」

10月 「働くとはなにか」 ←当日にテーマを決めました。

11月 「美しいとはなにか」 ←TRAMさんにて開催しました。

12月 「結婚とはなにか」 ←哲学科出身の友人の結婚式の二次会会場を使わせていただきました。
                  女性参加者の多い回でした。

【2015年】

1月  「死とはなにか」 ←新年早々、寒田にある眞光寺さんで開催しました(^_^;)

2月  「暴力とはなにか」 ←映画を幾つか見て対話に入りました。

3月  「当事者とは誰か?~それぞれの3.11を問い直す」

4月  「大人って何だ」

5月  「生きる意味ってなんだろう?」

6月  「服装ってなんだろう?」 ←女性参加者の多い回でした。

7月  「ジェンダーについて」 ←別府市鉄輪のここちカフェむすびのさんにて開催しました。

8月  「やさしさとはなにか」

9月  「リア充とはなにか」(怒涛の3時間開催)

10月 「さびしさについて」

11月 「あなたにとって、読書とはなにか」 ←ミハルスさんとのコラボ企画でした。

12月 「故郷とはなにか」

【2016年】

1月  「人が変わるとはなにか」 ←引きこもりをテーマにした映画「奴物語」を見て対話しました。

2月  「人は話せばわかるのか」

3月  「別れとはなにか」

4月  「所有とは/共有とは」

5月  「秘密とは/告白とは」

6月  「なぜあの人はモテるのか」

7月  「人はなぜ旅をするのか」

8月  「〈現実〉とはなにか」

9月  「AI(人工知能)は人を幸福にするのか/人はAIを幸福にできるのか」 ←男性参加者の多い回でした。

10月 「さびしさはどこから来るのか」

11月 「人が人を嫌いになるのはどういう時か」


【特別版】

Kids哲学カフェ「野良猫とどう向き合うのか」 ←フリースクールのハートフル・ウェーヴさんとコラボしました。

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こうしてみると、けっこう頑張ってますね(^_^;)





【開催案内】第28回 BunDoku哲学カフェ

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BunDokuの代表となりましたシミズです。

第28回目のBunDoku哲学カフェの案内をします。

10月22日(土)18時30分よりホルトホール和室にて開催します。

テーマは「寂しさはどこから来るのか。」です。

夏から秋へ気温が下がってくると、不意に言いしれぬ寂しさを感じたりもする今の季節。

その寂しさはどこから来るのでしょうか。

ご関心ありましたら、以下のホームページより申し込まれて下さい。

BunDoku哲学カフェ 申し込み



【開催案内】第27回 BunDoku哲学カフェ

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第27回目のBunDoku哲学カフェは9/24(土)18時半よりホルトホールにて開催します。

テーマは「AI(人工知能)は人を幸せにするのか/人はAIを幸せにできるのか」です。

飛躍的に進歩しているAIですが、その能力は人間のそれをはるかに凌駕し、

人間の知的活動、仕事を奪うようになっています。


AIの発展によって「人間」とは何か、という問い直しができると思います。

参加の条件ではありませんが、可能な限り2014年に日本で公開された映画、

「her/世界でひとつの彼女」(監督)スパイク・ジョーンズ

(主演)ホアキン・フェニックスを事前に見ていただきたいです。

AI(人工知能)理解の助けになることと思います。






【開催案内】第26回 BunDoku哲学カフェ

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8/27(土)18時30分からホルトホールにてBunDoku哲学カフェを開催します。

今回のテーマは「〈現実〉とはなにか?」です。

夢を抱く若者に対して「現実を見ろ」という説教を聞いたりすることがありますが、

その若者にとっての現実とは何なのでしょうか。

またポケモンGOやSNSの流行を見ると、仮想現実のなかで「現実」が拡張されたり複合化されたりして、

その在り方はわれわれの精神や身体性と強く結びついて、新たな現実を創っているようです。

あなたにとって現実(リアル)とはどのようなものですか。

哲学に関する知識は必要ありません。一緒に考え聴き話していきましょう。

当日みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。


【開催案内】第25回 BunDoku哲学カフェ

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7月のBunDoku哲学カフェは、7/30(土)ホルトホールにて、18時半より開催します。

テーマは「人はなぜ旅をするのか?」。

みなさんは旅をしますか?そこに何を期待していますか?

なぜ人生は旅にたとえられるのでしょう?

哲学に関する知識は必要ありません。

旅好きな方もそうでない方も一緒に考え聴き話していきましょう。


【開催案内】第24回 BunDoku哲学カフェ

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第24回BunDoku哲学カフェは6月18日土曜日17時30分から

ホルトホールにて開催します。

テーマは「なぜあの人はモテるのか?」

モテるってなんだろう。モテないってなんだろう。

モテることについて対話しませんか?

BunDoku哲学カフェはおかげさまで2年目を迎えます。

【開催案内】第23回BunDoku哲学カフェ

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第23回BunDoku哲学カフェを5月21日土曜日に

ホルトホールにて開催いたします。

時間は17時半からです。

テーマは「秘密とは/告白とは」。

秘密…誰もが何かしら胸の内に秘めているものでしょう。

子供は親に打ち明け得ない秘密をもつことで精神的に自立するとも言います。

また秘密とはその告白の機会を同時に待っているものなのかもしれません。

この哲学カフェでも過去に参加者のそうした告白の場面に立ち会うことがたびたびありました。

哲学に関する知識は必要ありません。一緒に考え聴き話していきましょう。

当日みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。



【開催案内】第22回 BunDoku哲学カフェ

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第22回のBunDoku哲学カフェを4月29日(祝・金)午前10時30分より2時間、開催します。

場所はホルトホールの和室です。

対話のテーマは「所有するとは/共有するとは」です。

所有からシェアの時代と言われますが、

そもそも所有するとはどういうことなのか、共有するとはどういうことなのか、

考えてみたいと思います。

ご関心ありましたら、公式ウェブページの申し込みフォームよりお申込みください。


BunDoku哲学カフェ 公式ウェブページ


無題

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人文学は、生活における、きわめて個人的な、ひとつの夢であって、生活のなかから、しかし生活を超えて、生まれ出て、そして消えていくものである。人文学は宗教ではない。近代的な理性とも関係しない。もっと野放図な、混沌とした欲望の果てに、不思議に秩序づけられた人文学はある。田中希生



【開催案内】第21回 BunDoku哲学カフェ

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第21回 BunDoku哲学カフェ

と き:3月27日(日)18時30分から20時30分

ところ:ホルトホール

テーマは「別れとはなにか」

別れ、別離、死別、決別、解散…

人との別れだけでなく、土地や馴染みの店、物との別れもありますね。

あなたにはどんな「さよなら」がありましたか?

それはあなたに何をもたらしましたか?

哲学に関する知識は必要ありません。

一緒に考え聴き話していきましょう。

当日みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。


【開催案内】第20回 BunDoku哲学カフェ

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第20回目のBunDoku哲学カフェを2月28日に開催します。

場所はホルトホールで18時30分からです。

今回のテーマは「人は話せばわかるのか」。

今回は20回目の節目ということもあり、

時間があれば哲学カフェにおける対話の意義なども考えていければと思います。

哲学に関する知識は必要ありません。一緒に考え聴き話していきましょう。

当日みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。


定義はなしで

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BunDoku哲学カフェも次で20回目の開催となります。

開催報告以外であまり振り返る機会は少ないので、

この場でひとつ気になったことをあげてみたいと思います。

以前あったことで(あまり強調した言い方ではなかったのでスルーしましたが)

言葉の定義づけをしてから対話した方がいいという発言がありました。

今後の対話の方向性を考える上で重要だと思われるので、

ここであえて採り上げたいと思います。

結論から言いますと、定義づけはしない方がいいと考えています。

理由はいくつかありますが、

一つは定義づけることによって対話の文脈が大きく狭められてしまうことがあります。

ある成果を出したり、問題解決のための会議などでは、

はじめに定義して議論する方向性を定めたうえで話し合うことは「効率性」のためにも

必要なことだと思います。

BunDoku哲学カフェは、そもそも解決や答えを求める場ではありません。

確かに時間が限られた中での開催ですが、

迂回にこそ豊かな鉱脈があると経験上からも言えます。

最短ルートで解を求めることは哲学とは程遠い行為であるように思えます。

またみんなで決めたその定義に同意できない人を、

対話の輪から出してしまうことにもなりかねません。

少数派や多数派などが形成される以前の場に立ちたいと考えています。

わたしたちは混沌を恐れているのかもしれません。

対話の場を定義し整理してコントロールしたい欲求があるのかもしれません。

混沌を楽しむと言ったら、かっこいいかもしれませんが、

対話がどうしたら豊かになるのか、どうしたら思考が生成される場であるのかを

現場では考えています。

定義して制限することは、既知の方に向かっていくだけのことになりそうです。

未知の方に開かれた場でありたい(難しいですが…)

この考えを押し付けるつもりはありませんが、

定義づけをはっきりして対話をしていくことは今後もないかなと思います。

このあたりも哲学カフェのテーマになりそうですね。

ではでは。


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