BunDoku哲学カフェ

大分朝読書コミュニティBunDoku主催による「BunDoku哲学カフェ」の公式ブログです。

【開催案内】第36回 BunDoku哲学カフェ

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おかげさまで、BunDoku哲学カフェは3年目をむかえます。

BunDoku哲学カフェは通常のBunDoku読書会からスピンアウトした企画で、

読書会とは違う、ひとつのテーマを軸にもっと深く考え対話できる場を

つくりたいという思いで、何人かの有志が集まって立ち上げた会です。

現在はホルトホールを中心に月1回程度のペースで開催しています。

僕の知る限り全国で哲学カフェは90くらいの団体があり、

大学内で完結しているものや社会人向けのもの、女性限定のもの、医療系のもの、

哲学書を読んでいくもの、性愛についてだけ語るもの、

ネットの掲示板やウェブカメラを利用したものなど、その運営スタイルは様々で、

最近はテレビなどでも取り沙汰されたりして注目度があがっていますが、

継続してコンスタントに開催している所は意外に少なかったりします。

主催者側の熱意もありますが、そもそも参加してくれる人の一定の支持がなければ

続けるのは難しく、都心ならともかく大分という地方で、

〈対話〉というものにどれだけ興味をもっている人がいるのか分からず、

発起当初は正直ここまで続けられるとは思っていませんでした。

でもいざ開催してみると毎回多くの参加者と初参加者の方々が途絶えることなく

集まってきてくれて、それが励みになるとともに、いったい哲学カフェのなにが

人を惹き付けるのか長年疑問でもありました。

またある主婦の方から「子育てをしていると大人の人と話す機会がないので参加しました」

という声を聞いたときに、単なる同好の場ではない哲学カフェの社会的な意義や続けていく

使命感すら覚えた次第です。

そこで今回のテーマは「有意義な哲学カフェ〈対話〉とは」とし、

哲学カフェあるいは対話そのものについてみなさんと語っていければと思います。

今回は哲学カフェの入門篇にもなるかと思うので、哲学と聞いて難しいと思っている方や

興味はあるけど今まで尻込みしていた方にも参加していただけると嬉しいです。

聴くだけの参加でも構いませんよ。



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【開催案内】 第35回BunDoku哲学カフェ

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5月のBunDoku哲学カフェのテーマは、

「やっぱり人は内面が大事ですか?」です。

人間の〈内面〉についてみなさんと考え、対話していきたいと思います。

【開催案内】第34回 BunDoku哲学カフェ

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第34回目のBunDoku哲学カフェの案内です。

前回33回目の案内が抜けていました。。すみません。

4月のテーマはエイプリルフールということもあり、

「良い嘘ってあるの?」です。

嘘についてみなさんと対話したいと思います。

4月22日(土)18:45~ホルトホールにて開催します。

【開催案内】第32回 BunDoku哲学カフェ

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2月のBunDoku哲学カフェの案内をします。

テーマは「許すとはどういうことか」です。

あえて動詞の「許す」としてみました。

みなさんは許したこと、許されたことはありますか?

また許せないとはどういうことなのでしょうか。

ご興味ある方はBunDokuのウェブページよりお申し込みください。


課題のようなもの

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昨日、今年最初の哲学カフェを開催しました。
過去最大数の参加申し込みがあり、ありがとうございました。
大人数での開催により、潜在的な課題のようなものが鮮明になったので、
今後対応すべく、書き残しておきたいと思います。

以下は終了後、僕個人のツイッターであげたものをまとめたものです。


大人数での哲学カフェを経験したことで、対話上の今まで放置してきた課題?やきちんと対応しないといけないことが、鮮明になったように思う。少人数だとアットホームな雰囲気のなかで、それらがうやむやになっていたのだろう。

哲学カフェなどの対話において、対話された内容を整理、分類し方向付けしていくことのメリット、デメリットとは。労力や能力の問題もあるけど、自分はそれをしないし、したくない。けどしてほしいという要望がそこそこある。参加者の誰かがそれをするのはいいと思うけど、ファシリが先導してするのは…

整理や分類、定義づけすることによって対話が収束するのは避けたいし、そこから外れた考えを除外したくはない。同じテーマでも話したい内容や興味、焦点はみんな違って、それを違ったまま保持して進んでいきたいと思う。曖昧になるかもしれないし、論点が複数あるのは深まりに欠けるかもしれないが。

と言いつつも、分類や整理も程度の問題かもしれない。昨日はすこしは整理した方が良かったかも。次回はホワイトボードを使って、すこしだけその要素をとりいれてみるか。哲カフェは、地図のある道を行くというより、地図なき道を彷徨するというのか、地図そのものを作る作業でありたいとは思う。

豊かな混乱。脳にいつもとは違う負荷がかかっているのを楽しみたい。

線ではなく面で進む対話。行ったり戻ったりだけでなく、飛び火や思わぬところでの共鳴、沈黙や間、ためらい、既読スルーもある。なにより話し聴く過程で滲み出てしまうその人固有のもが僕には興味深い。

哲学カフェにおいては「分かる」ことが一番大事というわけではなく、それは副次的なもののような気がする。このあたりは共通理解は得にくいけど。ゴールはそこではなく、うまく言えないけど、それとは別のものを個人的には求めている。


ファシリテーターをしていると、たびたび対話の内容を整理するよう、分類するよう、ラベリングするよう、定義づけて方向づけるように求められることが多々あり、そのたびにどこまでやるべきなのか、労力や能力の問題も含めて戸惑うことがありました。僕は基本的にはしたいくはない立場ではありますが、それが対話を貧しくする細くするということを伝えるのが難しく、いままでは曖昧に濁していました。それだけで語るのに時間がほしいとは思うのですが、はっきりと向き合う必要があると思いました。整理するときは整理してみる、しないときははっきりとその旨を伝える。

共通理解を得るためというわけではないけど、一度「対話とはなんなのか」「哲学カフェとはなにか」をテーマに話したいと思います。