BunDoku哲学カフェ

大分朝読書コミュニティBunDoku主催による「BunDoku哲学カフェ」の公式ブログです。

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【開催案内】第20回 BunDoku哲学カフェ

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第20回目のBunDoku哲学カフェを2月28日に開催します。

場所はホルトホールで18時30分からです。

今回のテーマは「人は話せばわかるのか」。

今回は20回目の節目ということもあり、

時間があれば哲学カフェにおける対話の意義なども考えていければと思います。

哲学に関する知識は必要ありません。一緒に考え聴き話していきましょう。

当日みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。


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定義はなしで

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BunDoku哲学カフェも次で20回目の開催となります。

開催報告以外であまり振り返る機会は少ないので、

この場でひとつ気になったことをあげてみたいと思います。

以前あったことで(あまり強調した言い方ではなかったのでスルーしましたが)

言葉の定義づけをしてから対話した方がいいという発言がありました。

今後の対話の方向性を考える上で重要だと思われるので、

ここであえて採り上げたいと思います。

結論から言いますと、定義づけはしない方がいいと考えています。

理由はいくつかありますが、

一つは定義づけることによって対話の文脈が大きく狭められてしまうことがあります。

ある成果を出したり、問題解決のための会議などでは、

はじめに定義して議論する方向性を定めたうえで話し合うことは「効率性」のためにも

必要なことだと思います。

BunDoku哲学カフェは、そもそも解決や答えを求める場ではありません。

確かに時間が限られた中での開催ですが、

迂回にこそ豊かな鉱脈があると経験上からも言えます。

最短ルートで解を求めることは哲学とは程遠い行為であるように思えます。

またみんなで決めたその定義に同意できない人を、

対話の輪から出してしまうことにもなりかねません。

少数派や多数派などが形成される以前の場に立ちたいと考えています。

わたしたちは混沌を恐れているのかもしれません。

対話の場を定義し整理してコントロールしたい欲求があるのかもしれません。

混沌を楽しむと言ったら、かっこいいかもしれませんが、

対話がどうしたら豊かになるのか、どうしたら思考が生成される場であるのかを

現場では考えています。

定義して制限することは、既知の方に向かっていくだけのことになりそうです。

未知の方に開かれた場でありたい(難しいですが…)

この考えを押し付けるつもりはありませんが、

定義づけをはっきりして対話をしていくことは今後もないかなと思います。

このあたりも哲学カフェのテーマになりそうですね。

ではでは。


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