BunDoku哲学カフェ

大分朝読書コミュニティBunDoku主催による「BunDoku哲学カフェ」の公式ブログです。

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課題のようなもの

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昨日、今年最初の哲学カフェを開催しました。
過去最大数の参加申し込みがあり、ありがとうございました。
大人数での開催により、潜在的な課題のようなものが鮮明になったので、
今後対応すべく、書き残しておきたいと思います。

以下は終了後、僕個人のツイッターであげたものをまとめたものです。


大人数での哲学カフェを経験したことで、対話上の今まで放置してきた課題?やきちんと対応しないといけないことが、鮮明になったように思う。少人数だとアットホームな雰囲気のなかで、それらがうやむやになっていたのだろう。

哲学カフェなどの対話において、対話された内容を整理、分類し方向付けしていくことのメリット、デメリットとは。労力や能力の問題もあるけど、自分はそれをしないし、したくない。けどしてほしいという要望がそこそこある。参加者の誰かがそれをするのはいいと思うけど、ファシリが先導してするのは…

整理や分類、定義づけすることによって対話が収束するのは避けたいし、そこから外れた考えを除外したくはない。同じテーマでも話したい内容や興味、焦点はみんな違って、それを違ったまま保持して進んでいきたいと思う。曖昧になるかもしれないし、論点が複数あるのは深まりに欠けるかもしれないが。

と言いつつも、分類や整理も程度の問題かもしれない。昨日はすこしは整理した方が良かったかも。次回はホワイトボードを使って、すこしだけその要素をとりいれてみるか。哲カフェは、地図のある道を行くというより、地図なき道を彷徨するというのか、地図そのものを作る作業でありたいとは思う。

豊かな混乱。脳にいつもとは違う負荷がかかっているのを楽しみたい。

線ではなく面で進む対話。行ったり戻ったりだけでなく、飛び火や思わぬところでの共鳴、沈黙や間、ためらい、既読スルーもある。なにより話し聴く過程で滲み出てしまうその人固有のもが僕には興味深い。

哲学カフェにおいては「分かる」ことが一番大事というわけではなく、それは副次的なもののような気がする。このあたりは共通理解は得にくいけど。ゴールはそこではなく、うまく言えないけど、それとは別のものを個人的には求めている。


ファシリテーターをしていると、たびたび対話の内容を整理するよう、分類するよう、ラベリングするよう、定義づけて方向づけるように求められることが多々あり、そのたびにどこまでやるべきなのか、労力や能力の問題も含めて戸惑うことがありました。僕は基本的にはしたいくはない立場ではありますが、それが対話を貧しくする細くするということを伝えるのが難しく、いままでは曖昧に濁していました。それだけで語るのに時間がほしいとは思うのですが、はっきりと向き合う必要があると思いました。整理するときは整理してみる、しないときははっきりとその旨を伝える。

共通理解を得るためというわけではないけど、一度「対話とはなんなのか」「哲学カフェとはなにか」をテーマに話したいと思います。




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